尾立(おりゅう)のルーツ

 = 尾立(ひじ)のルーツ

 

 

◆ 地理的案内(高知県)

 私(尾立貴志:おりゅう)は香川県善通寺市出身ですが、私の父親、祖父、曾祖父などは高知県生まれです。

 「善通寺(ぜんつうじ」の善通(よしみち)は、讃岐(さぬき:現在の香川県)出身と言われている空海(くうかい:弘法大師)の父親の名前だそうです。

 

 

 戦国時代以前は「尾立」を「 ひじ 」と読んでいたようです。

 今も地名に「尾立(ひじ)」は残っています。次の地図の左側に「高知市尾立村(ひじむら)」があります。

 

 高知市の拡大図:尾立村(ひじむら)の位置

 

 

 しかし、尾立家が多く住んでいるのは次の地図右側の赤枠で囲んだ地域、香美市(かみし)です。

 「香美(かみ)」=「鏡(かがみ)」であり、香美市を流れる大きな川は「鏡川(かがみがわ)」と呼ばれていたようです。現在は物部川(もののべがわ)と呼ばれています。

 

 

 香美市の西隣に南国市(なんごくし)があります。南国市の西隣りが高知市です。

 

 

 

 南国市には昔の土佐国司館があったようです(土佐国の国司、つまり現在の知事相当の勤務した建物)。

 

 

 香美市を流れる川の名前は「鏡川」だったようですが、17世紀に土佐藩主が高知市を流れる川を鏡川と名付けたので、香美市の鏡川の名前を「 物部川(ものべがわ) 」に変えたそうです。

 名付けの由来は不明です。

 平安時代には南国市の地名に「物部」の記録があるようなので、物部氏と何らかの関係のある地域だったのかもしれません。

 

 

 物部川の河口には高知空港があります。上流にさかのぼると「香美市立やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」があり、さらに山深い奥へ進むと「香美市物部町(土佐国物部村)」があります。

 「土佐国物部村」は「いざなぎ流陰陽道」伝承の地だそうです。

 明治二十二年の市町村制のとき、物部川の上流なので物部村と名付けられたようです。(物部の土佐進出|饒速日命の降臨と物部川流域に広がる物部村:6.物部町|物部川上流の旧物部村

 

 

 


 

 

 

◆ 尾立姓のルーツ(3説)

 私が知っている尾立家のルーツは、3説あります(2026.05.30現在)。

 

備考
説1 応神天皇(第15代天皇)
おうじんてんのう
大和族
説2 三嶋溝杭命
みしまみぞくいのみこと
出雲族
おそらく
説3 大国主神
おおくにぬしのかみ
出雲族

 

 ◆ 応神天皇説(1)

 平成5年(1993)ころ、自衛隊阪神病院(兵庫県川西市)の守衛さんから聞いた話です。

 『守衛さんが親戚(か知人)の結婚式に参加したとき、四国出身のお嫁さんの旧姓が尾立(おりゅう)だった。家系図を見せてもらった。先祖は応神天皇(おうじん てんのう)だった。応神天皇の子供たちの皇位継承争いを嫌って土佐に下ったらしい。』

 応神天皇(第15代;4世紀後半〜5世紀初頭)の次は仁徳天皇(にんとく てんのう)ですが、皇位を巡る兄弟争いがあったようです。

 皇位を求めて争い、負けると殺される時代だったので土佐へ逃げたようです。

 先祖が天皇家という話は親からも聞いたことはなく、日本では家系図を作るときに勝手に先祖を天皇にすることはよくある(?)ようなので、私は守衛さんの話を「ホンマかいな・・・?」と思いながらテキトーに聞いていたのでハッキリとは覚えていません 😅 ・・・興味を持ってちゃんと聞いておけばよかったと後悔しています。

 

 ◆ 応神天皇説(2)

 平成時代の終わりころ、尾立家のルーツについて教わる機会がありました。

 むかし、高知県香美市で尾立家のルーツを詳しく調べた方の話でした。

 台風のときに物部川が氾濫して、香美市の尾立宗主家に伝わる家系図が流されて無くなってしまったが、その家系図の始まりは応神天皇だったそうです。

 令和8年になって、家系図については流されないで残っていたものが確認されました。

 (私はまだ実物も写真も見ていないので)伝聞によると【(神武天皇・・・)・・・応神天皇(第15代) → 大山守皇子(おおやまもり の みこ)・・・→ 尾立宿祢(ひじのすくね)・・・→ 現在の尾立(おりゅう)】となっているようです(枝分かれの詳細は不明)。

 大山守皇子は皇位継承の争いに負けて殺されていますから、その家族等が都を離れて土佐に逃れた可能性はあります。

 「応神天皇説」の根拠となる史料は高知の尾立家に伝わる系図のみであり、勝手に応神天皇を祖に持ってきた可能性は否定できません。

 系図を詳細に分析していく必要があるでしょう。

 

 ◆ 出雲族説(三嶋溝杭命説と大国主神説の2説あり)

 これは尾立家の家系図ではなく、ネットでいろいろと調べているうちにわかった史料的なルーツです(もちろん、史料は大昔のいろいろな家系図情報も参考にして作られたと考えられます)。

 尾立家のルーツとして、出雲族説は可能性が一番大きいのではないかと私は考えています。

 先に出雲族について説明し、史料はあとで紹介します。

 

 出雲族については、私もよくわからないので 😅 AI(人工知能)さんによる「手短なまとめ」を掲載します(Copilot Search;2026.05.17;)。

 

出雲族とは、古代出雲地域に根づく神話的・宗教的系譜であり、大国主神を中心とした国津神の一族を指します。

出雲族の概要

出雲族は単なる地方の人々ではなく、日本神話における重要な系譜の一つで、天照大御神の皇祖神系譜と並ぶ存在です。史書上の確定した民族名ではなく、出雲地域に根づく国津神の系譜と、それを奉斎した在地勢力を指す便宜的な呼称とされています。

神話上の起源と主要神

出雲族の中心となる神は 大国主神(おおくにぬしのかみ)で、出雲大社の主祭神として国造り、医療、縁結びなど生活に直結する神徳を担います。また、スサノオ命(須佐之男命)が高天原を追放され、八岐大蛇退治を経て出雲に定着したことが出雲族の神話的起源とされます。スサノオは荒御魂(あらみたま)としての武勇と再生の力、和御魂(にぎみたま)としての調和的側面を併せ持つ存在です

大国主命は「国造り神話」において国土開発や医療、縁結びを担い、「国譲り神話」では天津神に国を明け渡す決断を下すなど、荒御魂と和御魂の両面性を示しています。

出雲族の歴史的・地域的背景

出雲族は奈良時代以前から出雲国に住んでいたとされ、記紀神話では蛇信仰の種族として描かれることもあります。古代出雲地方の支配者であった出雲氏は、天穂日命(あめのほひのみこと)を始祖とし、出雲大社の祭祀を司る国造家として現代まで続いています。

現代における意義

出雲族の神々や祭祀は、出雲大社を中心に全国に広がり、縁結びや国土安泰の象徴として信仰されています。また、出雲族の神話は日本人の精神文化や宗教観に深く影響を与えており、神話と歴史の二重構造で日本の統治理念や祈りを支えてきた象徴的存在と考えられています。

 

 AIさんが参考にしたページ:出雲族の変遷とその役割【前編】──出雲の神はどのように拡大したのか:▶ ▶ ▶(Rico|神仏巡礼結びナビゲーター;2025.09.18)

 AIさんが参考にしたページ:出雲族:▶ ▶ ▶(ウィキペディア)

 AIさんが参考にしたページ:出雲族(いずもぞく)とは?:▶ ▶ ▶(古代出雲への道;2025.12.22)

 AIさんが参考にしたページ:出雲と出雲氏:▶ ▶ ▶(歴史まとめ.net)

 

 


 

 

 以上、諸説ありますが、尾立(おりゅう)家の祖先が 神話時代から日本にいた ことは確かなようです。

 そして、古墳時代(3世紀半ば~7世紀)のどこかで土佐(土左、都佐)の国に移った ようです。

 

 

◆ ひじのすくね

 大昔の(最初の?)土佐国造(とさのくにのみやつこ:現代の知事に相当)に「ひじのすくね(小立宿禰、小立足尼、小立宿祢、尾立宿禰、尾立宿祢・・・)」という人がいます。(注:どの時代のどの1次史料でどの漢字を用いていたのか整理できていません。)

 尾立(ひじ)家は、どうもその一族だったようです。

 「ひじのすくね」で尾立家が始まったわけではなく、「ひじのすくね」本人またはその血縁男子が尾立家の祖先集団ということです。最初に「ひじ」姓を名乗ったのが誰かは不明です。

 現代では、尾立(おりゅう)姓は高知県の香美市(かみし)あたりに多く住んでいるようです。私の祖父も香美市出身です。

 

 

 この「ひじのすくね」を中心にルーツを探ると「出雲族説」の可能性が大きくなります。

 

 ウィキペディアの「都佐国造(とさのくにのみやつこ)」を見ると、出身地は「大倭国または出雲国」となっています。大倭(やまと)か出雲(いずも)か不明ということでしょう。

 

 

 

 では、「ひじのすくね」の関係史料を紹介したページを見てみます。

 

◆ 参考:市宿毛市史【古代編-波多と波多国造】:▶ ▶ ▶(高知県宿毛市:すくもし:のホームページ)

 宿毛市史の記録:

 都佐国は第13代成務天皇の世(131~191)に、長阿比古の同祖で、三島溝杭命9世の孫の小立足尼を国造に定めたと、これまた『国造本紀』に、次のように記されてある。

 「都佐国造、志賀高穴穂朝御世、長阿比古同祖、三島溝杭命九世孫、小立足尼定賜国造。」

 小立は、現在の尾立(ひじ)に通じるものと考えられるので、高知市朝倉付近に勢力を張っていた豪族と思われる。

 

 

◆ 先代旧事本紀;先代舊事本紀巻第十;國造本紀;天孫天饒石國饒石天津彦火瓊々杵尊孫;惣任國造百卌四國;「都佐國造 志賀髙穴穂朝御代、長阿比古同祖三嶋溝杭命九世孫小立足尼、定賜國造」:▶ ▶ ▶

 「国造本紀」には、国造144国と列島各地の国造の祖先伝承などを記録しているようです。

 ウィキペディアによると、先代旧事本紀には飛鳥時代の蘇我馬子(551?~626)による序文があるが、それはおそらく偽作であって、実際に先代旧事本紀が作られたのは平安時代初期(西暦900年代初期)ではないかと推定されているようです。

 『古事記』や『日本書紀』からの引用が多く、独自記述は少ないようですが『天孫本紀』と『国造本紀』は、古い家伝等の独自調査による記録があり、貴重な史料となっているようです。(Wikipedia;2026.05.21)

 

 「ひじのすくね(小立足尼、尾立宿祢、・・・)」は三島溝杭命(みしまみぞくいのみこと)の子孫であるとのことなので、三島溝杭命についてしらべてみます。

 

◆ 三嶋溝杭命(みしまみぞくいのみこと):▶ ▶ ▶(Wikipedia)

 三嶋溝杭命の『娘は出雲最期の后であり、孫娘は大和最初の皇后(神武天皇の正妃)である。国譲り、日本建国神話の実態に大きく関わる最古の海神であり、八咫烏、賀茂建角身とも同じとされる』・・・そうですね・・・よくわかりませんが 🤪

 「溝(みぞ)」は水路を意味し、「杭(くい)」は船を結わえておく船着き場の杭あるいは領地の境界を示す杭を意味しているようです。当時の海運・水運を支配していたのかもしれません。

 八咫烏(やたがらす)が出てきましたね。神武東征のとき熊野国ルートを案内した鳥です。現代の都市伝説では、天皇家を守る闇の集団・・・でしたっけ?・・・闇の組織なので詳細は不明のようです 😎

 

 次図の左側が「出雲族」、右側が「大和族」です。

 神武東征で、日本の支配者が出雲族から大和族に交替しました。

 

 

 記紀等に何の記載もないため、三嶋溝杭命が出雲族か大和族がそれ以外かは不明のようですが、国譲り・神武東征の前後で出雲王家にも大和王家にも后を出しています。

 大和族の三嶋溝杭命が「ハニートラップ」のようなことを期待して出雲王家に后を出した可能性や、出雲族と大和族の緊張を和らげるために大和族が出雲族の三嶋溝杭命から后を迎え入れた可能性があり、三嶋溝杭命が実際に何族だったのかは断定できません。

 しかし、神武天皇が西方(九州?)を出発して東へ進んだことや、そのときに三嶋溝杭命は大阪あたり(その当時、今の大阪の西側はまだ海だったようですが)の海運業で勢力を持っていたことなどを考えると、大和族ではなく出雲族であった可能性が大きいと考えられます(もちろん将来何らかの根拠が出てくれば変更します)。

 神武東征のとき、熊野国から大和国(奈良県あたり)への道案内をした八咫烏(やたがらす)は三嶋溝杭命のことかもしれないようです。

 

◆ 都佐国造(とさのくにのみやつこ):▶ ▶ ▶(Wikipedia)

 ウィキペディアには「ひじのすくね(小立宿祢)」を含む系図が2種類掲載されています(2026.05.31)。

 2種類とも祖は大国主神です。三嶋溝杭命ではありません。

 系図1では、「大国主(オオクニヌシ) → 事代主神(ことしろぬしのかみ) → 天八現津彦命 → 観松彦伊侶止命(みまつひこいろどのみこと) → → → → → → 小立宿祢 」となっており、系図2では「天八現津彦命 → 観松彦伊侶止命 → → → → → → → → 小立宿祢」となっていて、「→ → → → → →」の部分は異なっており、系図の信頼性は「???」ですが、どちらも祖は「大国主」となっています。

 系図の出典など詳細は不明です。

 

 

 

 

 一番しっかりとした根拠がある祖は「三嶋溝杭命」です。

 

備考 根拠
説1 応神天皇(第15代天皇) 大和族 香美市尾立家の家系図のみ
説2 三嶋溝杭命 おそらく出雲族 國造本紀
説3 大国主神 出雲族 不明

 

 どこの馬の骨ともしれない人物を土佐の国司に任じたりはしないでしょうから、「ひじのすくね」がそれなりの血統の人物であったことは間違いないようです。

 

◆ 参考:空と風「鳥の一族 19 - ⑧ 番外編 伊古奈比咩命 その参」:▶ ▶ ▶

 

◆ 参考:長阿比古(ながのあびこ):▶ ▶ ▶(はてノ鹽竈;2016.05.13)・・・しおがま・・・と読みます。尾立を現代風に「おたて」と間違って呼んでいます。

 

◆ 参考:裏の陰陽道? 高知の山里に伝わる「いざなぎ流」と呪術の世界:▶ ▶ ▶

 

◆ 高知県香美市で尾立家の歴史を詳しく調べた方によると、戦国時代に一度「尾立(ひじ)」の姓を「●●(なか???)」に変え、再び「尾立」に戻すときに、「ひじ」では読みにくいということで「おりゅう」に改めたそうです。

 たしかに「小立、尾立」を「ひじ」と読むのは難しいですね。古代の「小立、尾立」の読みは「ひじ」であって、「おりゅう、おたて、おだて、おたち、おだち」ではありません。

 しかし、「おりゅう」と読むのも・・・決して簡単ではないですね・・・湯桶読み(ゆとうよみ:訓読み+音読み)だし・・・😑

 古代は、最初に「ひじ」があって、それに漢字「小立、尾立」を当てたのだと思われます。

 「ひじ」の意味は不明です。「日の出」という意味の「日出(ひじ)」でもなければ、「泥、ぬかるみ」という意味の「ひぢ(土、比地)」でもないようです。また、まさか「肘」ではないでしょう。

 「ひ」という音は「火、日、陽、霊力」のような意味を持っていたようです。

 AI(Copilot;2026.05.21)さんによると:「日出」は古くは “ひいで” → “ひいづ” → “ひづ/ひじ” と音変化しており、「太陽が出ること」=日の出 を意味する語として文献に見られます。中世の辞書『日葡辞書(1603–04)』には「日の出(ひので)」の表記として「日出」 が載っており、これが「ひじ」と読まれる場合もありました。

 現代でも「日出(ひじ)」の地名や人名はあるようですが、日の出の意味にわざわざ「小立、尾立」の漢字を当てがう意味はないでしょう。

 戦国時代の人も「ひじ」の元々の意味が解らなかったので、読み方を「おりゅう」に変えたのでしょう。

 

◆ 九州(鹿児島や大分)には尾立(おだち、おだて)という姓の人々がいます。一説によると、豊臣秀吉による九州征伐(九州平定)に四国から参加した尾立の一族の一部がそのまま九州に定着し、読み方を変えたと言われています。

 尾立家の歴史を詳しく調べた方によるユニークな仮説ですが、今後、九州の尾立家の伝承を調べる必要がありますね。

 

 

◆ ポケモンの尾立

◆ 四国の尾立(おりゅう)は、「尾=小 → ミニ」、「立=竜=龍 → リュウ」なので、ポケモン(ポケットモンスター)でいうと ミニリュウ に相当します(ポケモンずかん)。

 

◆ 九州の尾立(おだち、おだて)は、ポケモンの オタチ に相当します(ポケモンずかん)。

 

 オタチが尾で立つのは、敵を威嚇するときだそうです。

 ふだんは、こんな感じです:

 

 


 

 

 

◆ 日本姓氏語源辞典:尾立

◆ 日本姓氏語源辞典(https://name-power.net/:▶ ▶ ▶)の記録を見てみます。日本姓氏語源辞典は、地名人名研究者である宮本洋一(みやもとよういち)さんによる日本最大級の姓氏辞典のようです。

 こちらが「尾立(おりゅう)」のページです:▶ ▶ ▶

 ページを開くとコマーシャル(商業広告)が表示されます。広告に興味が無いとき、コマーシャル下部の「✕」をクリックすると消えます。

 

 :これは2026.05.21 時点での表示仕様です。

 

 「尾立」姓の全国分布図を紹介します。読み方に関係なく、「尾立」という漢字で集計されています。

 

 

 赤い色が濃いほど「尾立」姓の人数が多いことを示しています;都道府県別:↓

 豊臣秀吉の九州征伐(九州平定)時に、四国勢の上陸したのが大分県のようです。九州征伐の終点が鹿児島県です。九州平定を調べると、長曾我部元親と関係が深い地名として豊後(大分県の一部)や大隅(鹿児島県の一部)の名前が出てきます。

 

 赤い色が濃いほど住民人口に占める「尾立」姓の比率が多いことを示しています:↓

 

 尾立姓;市町村別の人数です:↓

 

 尾立姓;市町村別の比率です:↓

 

 尾立姓;小地域別(市町村より下位の行政単位)の人数です:↓

 

 尾立姓人数;四国を拡大します:↓

 

 尾立姓人数;高知県の中央を拡大します:↓

 

 尾立姓;小地域別の比率です:↓

 

 尾立姓比率;四国を拡大します:↓

 

 尾立姓比率;高知県の中央を拡大します:↓

 

 「尾立」姓の人口分布、人口密度分布を見ると、『国造本紀』の記録や豊臣秀吉の九州征伐で大分県や鹿児島県に拡がったのではないかという説は、十分にありえると考えられます。

 

 

 「尾立」姓の由来や語源に関して次の説明が紹介されています(日本姓氏語源辞典;2026.05.21):

 高知県香美市土佐山田町山田島に分布あり。高知県安芸郡奈半利町に安土桃山時代、高知県高知市丸ノ内が藩庁の土佐藩士に江戸時代にあった。高知県高知市尾立は安土桃山時代に記録のある地名。地名はヒジ。

 大分県宇佐市安心院町尾立発祥。江戸時代に記録のある地名。同地に分布あり。地名はオダテ。

 

 

 

◆ 日本姓氏語源辞典:小立

 日本姓氏語源辞典で「小立」を調べましたが:▶ ▶ ▶ 「ひじ」と読む「小立」姓は無いようです。

 「小立」を「ひじ」とは読みづらいので「おだち、おたち、こだち」などに変えた可能性はあるでしょう。

 「小立」姓の分布は、島根県、愛媛県、兵庫県に多いようです。

 もし島根県や兵庫県等の小立家に「昔はひじと読んでいた」というような伝承が残っていたり、近くに小立(ひじ)という地名が残っていれば尾立家の「出雲族がルーツ」かもしれないという話とつながって面白いですね。

 ネット検索では「小立(ひじ)」の地名はありません(2026.05.21)。

 

 「小立」姓の全国分布図を紹介します。読み方に関係なく、「小立」という漢字で集計されています。

 

 

 小立姓;都道府県別の人数:↓

 

 小立姓;都道府県別の比率:↓

 

 小立姓;市町村別の人数:↓

 

 小立姓;市町村別の比率:↓

 

 小立姓;小地域別の人数:↓

 

 小立姓人数;島根を拡大します:↓

 

 小立姓人数;島根県松江市をもっと拡大します:↓

 

 小立姓;小地域別の比率:↓

 

 小立姓比率;兵庫県丹波篠山市を拡大します:↓

 

 

 「小立」姓の由来や語源に関して島根県、兵庫県、愛媛県、栃木県が紹介されています(日本姓氏語源辞典;2026.05.21):

 愛媛県、島根県、兵庫県。コダチも含む分布。兵庫県丹波篠山市でコダチが存在。地形。小さな高い場所から。愛媛県松山市小浜が本拠。島根県松江市上乃木が本拠。同地では農業に従事していたと伝える。推定では江戸時代。兵庫県丹波篠山市熊谷に分布あり。栃木県下都賀郡壬生町を根拠地とした壬生氏の家臣に戦国時代にあった。推定での発音はコダチ。

 

 

 以上、日本姓氏語源辞典(宮本洋一)を利用して調査しました

 

 


 

 

◆ 今後の調査予定

 今後の課題:

 

 


 

 

 

 ・・・工事中・・・

 

 

 





 

このページは尾立貴志のホームページの一部です:↓

Home:▶ ▶ ▶